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エモンズ(USS EMMONS)の沈没船・徹底検証

エモンズ (USS Emmons, DD-457/DMS-22)

米軍掃海艇駆逐艦エモンズ(USS EMMONS)

沖縄本島から古宇利大橋で繋がる古宇利島の沖、水深約40mに沖縄最大級の沈没船であるUSS EMMONS(米軍掃海艇駆逐艦エモンズ)が沈んでいる。USSエモンズは2001年に地元のダイバーの調査によって公表された。全長106mの駆逐艦USSエモンズ。(駆逐艦:魚雷で敵艦を攻撃する速力の速い軍艦、USS:アメリカ海軍艦船 -United States Ship )船体はほぼ原形をとどめ、巨大な主砲、スクリュー、ソナー、機銃や兵士のヘルメットなども当時のま­まの姿で海底に横たわっている。エモンズは第二次世界大戦末期の1945年4月6日、第二次世界大戦時に日本軍・神風特攻隊の攻撃を受け大破。乗組員209人の内、行方不明者を除いたすべての人々の救助後に秘密漏洩を防ぐ為にエモンズは米軍自らの手によってに沈められた。

水深が深いだけではなく潮の流れがとても速いため上級者のダイバーのみが潜ることができるダイビングスポット。又、魚雷(雷管・信管)、火薬、爆薬、砲弾など爆発物が数えきれないほど残るため、レックダイビングの知識とトレーニングも必須になる。

USS EMMONS

エモンズ (USS Emmons, DD-457/DMS-22) は、アメリカ海軍の駆逐艦。グリーブス級駆逐艦の1隻。艦名はジョージ・F・エモンズ海軍少将(1811年 – 1884年)に由来する。
 

正式名称 エモンズ (USS Emmons, DD-457/DMS-22)
起工 1940年11月14日
排水量 2,050トン
全長 106.2 m
全幅 11.0 m
最大速 35ノット (65 km/h)
乗員 208名(戦時276名)
兵装 38口径5インチ砲4門 12.7mm機銃6基 21インチ魚雷発射管10門
20mm機銃6基 爆雷投射機6基 爆雷軌条2軌

エモンズ(USS EMMONS)徹底検証

情報提供:古川 正人氏
参考資料:Wikipedia
編集・写真撮影:空 良太郎
 
エモンズ徹底検証のページに記載されいる情報や写真を無断で複製、コピー、商用利用することは固くお断りします。

主砲 口径12.7cm・5インチ砲塔(38口径5インチ砲)

エモンズの主砲は口径12.7cm・5インチ砲塔(38口径長5インチ砲)が4門。ブリッジ下部や艦外に直径12.7cmの砲弾が落ちている。エモンズ沈没時、対空戦闘状態のため、「マリアナの七面鳥撃ち」として有名な近接爆発調整した信管雷管(VTシュート)が装着されていた可能性が高い。おそらく爆発の危険性が一番大きいのがこの主砲弾。砲塔内部は勿論、砲塔外に落ちていた砲弾には未だ戦闘状態の信管が装着されている。錆びていても火薬の残った砲弾の危険性はとても高い。ダイバーは絶対に触れないように注意が必要。 エモンズ主砲38口径長5インチ砲
エモンズ・VTヒューズMK53型 第二次世界大戦時にアメリカ軍のみが開発に成功した砲弾を爆発起動させる近接信管の「VTヒューズMK53型」。米軍はこれを小型化、5インチ(12.7cm)砲塔用の対空戦闘段に組み込む事に成功した。直接命中させなくても15M圏内にうち上げさえすれば爆発させる事が出来た。エモンズは主に対艦船用の徹甲弾と地上攻撃用の爆裂弾、対空戦闘用の対空弾を搭載していた。当時、無線傍受で既に日本航空機動部隊の動向を察知、対航空機用の砲弾を砲塔内部に積み込んで戦闘していたと推測される。

副砲40mm連装機関砲

エモンズ副砲40mm連装機関砲 1930年代初頭にスウェーデンのボフォース社が開発した対空機関砲。第二次世界大戦時における最も有名な対空兵器のうちの1つ。
優れた中近距離近接対空火器として、米英海軍艦艇にも装備された。特にアメリカ海軍の艦艇に搭載された対空兵器の中で最も多くの航空機を撃墜したと言われている。
戦間期に盛んに各国に輸出され、大日本帝国、イギリス、アメリカ、ポーランド、ハンガリー、ソ連、世界的に多くの国々に採用されていた。

対空機銃単装20mm機関銃

砲弾は直径2cmも有る砲弾薬莢の真鍮製20mmで火薬が後部薬莢内部に入っている。爆発の危険性は高い。機銃座下部には1.27mmの弾丸が沢山落ちている。こちらも薬莢に火薬が入っているので危険性は高い。
砲弾、弾丸はマジックほどの大きさで簡単に拾える。海底で見ると魅力的に映ってしまうが爆発の危険性が高いので絶対に拾わないように注意が必要。発射後の真鍮の薬莢殻もあり、爆発の危険性はないが歴史上の観点からも沈没船の遺物を移動したり、持ち去ったりすることは絶対にしないように。
エモンズ対空機銃単装20mm機関銃

魚雷・爆雷(対潜機雷)

エモンズ魚雷・爆雷(対潜機雷) エモンズの船尾の左舷側、架台に置かれている米海軍が使用した爆雷(対潜機雷)。頂上部分に爆発させるための深度調整信管・雷管が取り付けられている。火薬爆発の危険がある。
写真の右下、全長2m程度を超える魚雷は船尾側に航走用のスクリューの取り付け後がある。雷管・信管がそのまま取り付けられているので特に爆発の危険性が高い。
ダイバーによる着底はもちろん、近づかない、触らないように注意が必要。

パラベーン掃海具

エモンズの船尾から数十メートルほど離れた付近、水深約42メートルの砂地に落ちている。航走用のスクリューが無いので、駆逐艦から引きずって敵機雷を掃海除去する為のパラベーン掃海具と思われる。爆発の危険は高くはないが近づかないほうが良い。
パラベーン掃海具は全長約3.5mの円筒状の装置で、危険海域に到達すると「掃海具」を左右方向に投下する。この「掃海具」は曳航ワイヤーによって艦の速度に合わせて自動的に一定の距離、一定の深度で艦の両側に展開する。
エモンズ・パラベーン掃海具

旧大日本帝国陸軍の98式直協機

九八式直協機 旧大日本帝国陸軍の98式直協機

エモンズは、ロッドマン (USS Rodman, DMS-21) と共に航行中、大規模に展開されたの旧日本軍の特攻機の攻撃に際して標的とされた。最初の1機がロッドマンを攻撃し、エモンズは損傷したロッドマンを護衛するため対空砲撃を行った。2隻の掃海艦は特攻機の攻撃に圧倒された。その多くは撃墜されたものの、エモンズは旧日本軍の特攻機、5機によってほぼ同時に攻撃を受けた。1機が三番砲塔の喫水線付近に突入し、弾薬庫に引火、大爆発を起こし、左舷船尾と戦闘情報センターが炎上した。
 
現在、エモンズの船尾付近に旧日本軍の特攻機と考えられるエンジンが残っている。エンジン発動機は型式が日立のハ13甲型と考えられ、空冷単列星形9気筒、取り付けられているプロペラは2枚羽根式、エモンズ突入時には高速で回転していたため、両端が共に同じく内側に折れ曲がっているのが確認できる。この1945年の当時に現役で飛行していた大日本帝国軍用機は種類が少なく、たいていは3枚住友ハミルトンが取り付けられていた。旧日本軍の沖縄方面への出撃記録から1945年4月6日に陸軍新田原飛行場を出撃した特別攻撃隊の記録を確認できる。
 
1945年4月6日の出撃(菊水壱号作戦、陸軍特別攻撃隊)
陸軍特攻誠第36飛行隊:九八式直協(2枚羽根プロペラ)10機:新田原発:中尉 住田乾太郎指揮官
陸軍特攻誠第37飛行隊:九八式直協9機:新田原発:中尉 柏木誠一指揮官
陸軍特攻誠第38飛行隊:九八式直協7機:新田原発:少尉 喜浦義雄指揮官
陸軍特攻第22振武隊:一式戦2機(3枚羽根プロペラ):知覧発:少尉 西長武指揮官
陸軍特攻第44振武隊:一式戦4機:知覧発:少尉 小原幸雄指揮官
陸軍特攻第62振武隊:九九襲5機(3枚羽根プロペラ):万世発:少尉 富沢健児指揮官
陸軍特攻第73振武隊:九九襲12機:万世発:少尉 高田鉦三指揮官
陸軍特攻第一特別振武隊:四式戦8機(3~4枚羽根プロペラ):都城西発:少尉 林弘指揮官
 
上記の記録から駆逐艦エモンズの船尾付近に爆弾を抱えたまま特攻突入したのは98式複座直協機(空冷星形9気筒エンジン2枚羽根プロペラ)の36、37、38飛行隊の合計26機、搭乗員52名に絞られる。神風特攻隊=日本海軍ゼロ戦とイメージされるが、この特攻機は間違いなく日本陸軍の特攻機になる。アメリカ軍の駆逐艦には搭載されるはずがない、旧日本軍の航空機発動機とプロペラが発見できた事は歴史的にも物凄い事実だと思われる。
 

エモンズ内部へのペネトレーション・未公開

エモンズ内部へのペネトレーションは非常に危険な行為です。ペネトレーションに関する相談や質問はお答えしません。写真撮影者の許可なくコピーや複製、商用利用することも固くお断りします。ご了承お願いします。

エモンズ内部 エモンズ沈没船内部
エモンズペネトレーション エモンズ内部・未公開
エモンズ内部・初公開 エモンズ客室
USS Emmonsペネトレーション エモンズ客室

 

エモンズ(USS EMMONS)の動画 


 

 
エモンズのダイビングは上級者向けのポイントのため、リピーター様もしくは経験本数50本以上の方のみのご案内になります。エモンズのダイビングを楽しみたい方はエモンズ ダイビング 古宇利島の沈没船からお申込みください。
 

(Last Update:2017年3月15日)

投稿者のプロフィール

空 良太郎
北海道小樽市生まれ。沖縄でPADIインストラクターを取得。その後、サイパンのMOCダイブセンター、タイのサムイダイビングサービスで勤務。世界的な水中写真家達と出会い、水中写真を始める。2011年に沖縄PADIダイビングスクール ワールドダイビングを設立。